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365日のJournal

6月

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June, 2022

june09 june11

夏前の花壇で

 

 それらしい雨の日が一週間もあったでしょうか? 今年の梅雨はあっさりと明けてしまって、降り注ぐような夏空です。

 オオバギボウシやヤマユリが咲いたりすれば、これで夏本番!となるのでしょうが、植物たちもまだ準備がなかったようで(かといってあわてるような様子もないのですが)、いつもの夏よりは初々しく、柔らかなように見えるのです。

 公園の大きな花壇も、まだ夏の植え替えがこれからで、枯れ草と、花が混在し、ラベンダーの中にチガヤが出て、クマバチもミツバチもいっしょで、無秩序で美しく、楽し気です。どうも僕はこういう束縛の無い世界が好きなのでしょうか?

「あなたといると、毎日が夏休みみたいよ」そう言われたことが何度かあります。いい意味なのか、悪いのか? みんながやりたいだけやれて、想定外のこともいあっぱいあって、見たことがないような事が起こる時、僕はここぞとばかりにいきいきしてしまうのです。

 本当は、季節が、まったく暦の通りなんて年はないのです。いつもどこか暑すぎたり寒すぎたり、雨が降ったり、降らなかったり、何かある。だからみんな季節を気にする。

 次の素晴らしい出来事を待ち望む。それでこの世界に生きる喜びを、いっそうに感じるのです。

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June, 2022

june05 june06

モンキチョウ交尾拒否

 

 大好きな人と結ばれ、子どもを育て上げ、人生のあらゆることで協力し、最後まで添い遂げられたら幸せですね。結婚式ではそういうことを神様に誓ったりするわけですが、誓いを成就できる人は、どのくらいいるのでしょうか?

 多くの昆虫は、成虫になってから死ぬまでがとても短く、愛の成就を誓うまでもなく、ただパッションに従いまい進するしかありません。そしてそこにはメスをめぐる命がけの戦いもあり、策略も、略奪も殺戮も、命の力が試されるあらゆるものがある。

 その日、僕はうちから50kmほど離れた埼玉県内の田園地帯で遊んでいました。高速を使えば1時間ほどで行ける場所です。広い河川敷の草原で、モンキチョウが飛んでいました。黄色いのがオス、白いのがメス、二頭の蝶は水平に、あるいは突然進路を変え、くるくる回りながら追いかけあい、小さな竜巻のように、空へ高く高く飛んでいきます。

 草の上へ降りたメスを見ると、お尻を上へ上げています。一見オスを誘っているように見えますが、これは「私はもう交尾を済ませています。あなたと結ばれることはできません。」という合図で、この姿勢を取られればオスはもう何もできないのです。

 モンシロチョウの場合は、メスがこの姿勢を取れば、オスはすっと身を引きますが、モンキチョウは何かフェロモンでも出しているのでしょうか、オスは執拗に追いかけ、メスもそれを受けて力いっぱい飛び、まるで熱烈な愛のダンスのように見えるのです。

 このダンスは、なにも得ることのできない、まったく無駄なことでしょうか? 無我夢中で踊るうちに、メスは自分の過去を忘れてしまい、自分のダンスに最後まで付いてきたオスと結ばれるのではないか? あるいはそんな奇跡が起きてしまう可能性を秘めた、進化の過程のダンスではないか? そんな想像もしながら、初夏の蝶を追いかけました。

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June, 2022

june03 june04

空虚になりすます

 

 少し前に、何気なく撮っていた蛾の写真を見ていて、あっ!と声を上げてしまいました。撮った時にはたぶん「きれいな蛾だな。見たことがないな。」くらいだったと思うのですが、あらためて写真を見て、この蛾が「空虚」になりすまそうとしていると気づいたのです。

 写真をよく見ていただければ分かると思います。この蛾はススキか何か、イネ科の植物の茂った中にいます。細長い葉が傾き、一部は枯れて重なり、いくつもの三角形ができています。三角形の中は深い闇だったりします。枯れた葉は色が抜け、にじんだような模様を見せています。これらの鋭角と、ぼやけと、闇の混在する世界を、この蛾は自らの全身で描いているのではないでしょうか?

 そんなにも複雑な世界を、見事にデザイン化しながらも、蛾は何も知らぬように、安心しきって、午睡を楽しんでいるようです。ただ静かにしていることが、誰にも見つからず安全と知っているのでしょう。実際、蛾は何かを思考するような脳は持ってはいません。それなのに、人間が考えに考え抜いても思いつかないようなデザインできるのはなぜしょうか?
 ダーウィンの進化論が完全はないことを、もっとも分かりやすく証明できるのは、蛾をはじめ、多くの生きもの行う「擬態=なりすまし」ではないでしょうか?何かになりすまして、身を隠せるようになるために、少しずつ体を変化させたとすれば、中途半端に似ている時に生きていけません。その変身計画はそこで終わるでしょう。とすれば、擬態はある日突然、かなりの完成度で実現されたと考えられないでしょうか?
 蛾の中には様々な形態と色彩のデータがあり、ある日それを取り出したのか!? ではそのデータはいつ、どうやって作成、保存されたのか? たった1グラムの脳もないこの虫の、どこにそのデータはあるのでしょう?

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June, 2022

june01 june02

オカトラノオ・恋の舞台

 

 オカトラノオは初夏の丘陵地に普通に咲く花です。遊歩道の脇や林縁に、明るい場所が広がっていれば大群生することもあります。
 名前の通り、花は長い茎にたくさんに付き、下から順番に咲きますから、咲いている部分は太く、先端のまだ蕾の部分が細いのです。その先端がすいっと上を向くのを、虎の尾に見立てたわけです。五弁の白い花は近くで見ても美しく、暑さを忘れさせる爽やかさがあります。

 この花が咲くのを待っているのは、私たち人間だけではありません。メスグロヒョウモンや、ミドリヒョウモンなどのタテハ類の蝶も、よく吸蜜に訪れます。メスグロヒョウモンは名前の通りメスが黒っぽく、墨絵のような美しいぼかし模様があります。オスはオレンジ褐色です。
 多くの虫たちがそうであるように、メスグロヒョウモンも、まずオスが先に羽化します。栗の花の上などにオスだけが集まり吸蜜していることがありますが、これは羽化したばかりで、翅にも傷がなく初々しい感じがします。
 やがてオスたちはあちこちへと、ばらけて飛んでいきます。そしてそこで遅れて羽化したメスに出会います。遠くのメスと交尾することで遺伝子の多様性を得て、メスはあまり動かないことで、自分が生まれ育つことができた環境の中で産卵するというわけです。

 オカトラノオの群生は、メスグロヒョウモンたちが恋をするのに格好の場所です。爽やかに揺れる虎の尾の上で、蝶たちは吸蜜し、出会い、結ばれます。
 6月の頭ごろ、優しい風が吹く晴天の日、空中婚に最高の日は、今週の終わりごろか? 来週になりそうか? オカトラノオは咲き始めたか? そんなことばかり考えているのです。

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