旧桧原村郵便局
東京都の西南端、秋川源流の集水域に檜原村はあります。諸島部を除けば都内で唯一の村。人工林と天然林が美しいタペストリーを織りなす、水と緑の村です。
数年前、この村でエコツーリズムのガイドを養成するということになり、月に何度か村へ行き、若い人たちのために講座を持ちました。もう僕が教えることが何もないようなプロもいましたし、ただもう村のおじいちゃん、おばあちゃんが好きで、都会の人を招いてコンニャク作りでも、芋ほりでもなんでもやれればいいという人もいました。そのほとんどが村外から移住してきた人でした。
こういう場合一番よくないのは、この村の良さを見つめようとせず、ここにないものを強引に持って来ようとする考えです。幸いにもそういう人はいませんでした。
僕たちは村の魅力的な場所を一つずつ訪れ、そこでどんなガイドができるかワークショップしていきました。時々は参加者にもガイドのデモンストレーションをしてもらい、みんなで感想を述べあいます。
村で最も有名な観光スポットである「払沢の滝」の滝の入口に、旧桧原村郵便局の建物が移築され、土産物屋になっています。飾りのない昭和の木造建築の前でデモンストレーションしてくれたのは、参加者中唯一の村出身の青年でした。
彼はそこにある大きなイタヤカエデの前に立ち、その幹に傷を付け、しみ出す樹液を集め、煮詰めてメイプルシロップを作る話をしてくれました。ガイド講座的には技術的な問題がいくつかありましたが、その話の飾りの無さが、欲のない実直な生き方と重なり、それがまた透明な樹液が少しずつ集められ、淡い琥珀色のメイプルシロップになっていく時間にも重なり、僕はすっかり魅了されてしまったのです。
こういう講座を頼まれて、あちこち行くことはあるのですが、こんな風に、風景を体現するような、代弁するような人と出会うことがしばしばあり、心が洗われる気持ちになるのです。振り返ると飾りない旧郵便局が、優しい木々に包まれて、堂々と前を向いておりました。