ポストにあった木漏れ日ハウスの写真や涼やかな文字を読み終え、気がつけば3時間も昼寝をしておりました。心地よい休息を久しぶりにとり、ベランダから流れる川の風にも恵まれ、慎ましい私の暮らしが、かえって贅沢な生き方だなと晴れやかな気持ちになりました。
木漏れ日ハウスは、時間を豊かさに変える魔法を備えているんだろうと思います。
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ポストにあった木漏れ日ハウスの写真や涼やかな文字を読み終え、気がつけば3時間も昼寝をしておりました。心地よい休息を久しぶりにとり、ベランダから流れる川の風にも恵まれ、慎ましい私の暮らしが、かえって贅沢な生き方だなと晴れやかな気持ちになりました。
木漏れ日ハウスは、時間を豊かさに変える魔法を備えているんだろうと思います。
知っている、というか、気になったり、気になりかけていたこと。身近な自然のことや、家の中の好きな場所の雰囲気とか、私だけだと置いていってしまいそうなものごとが、「やっぱり大切だったんだ。大切にしていこう」と思える本です。
表紙の写真から冒頭の「太陽の分身」、そして「木漏れ日の森に住む」への流れにうっとりです。今号はよりいっそう、写真とエッセーの中に夏の音を感じました。
わたしはこの「木漏れ日ハウス」のテーマは、日常のなかの冒険だと思って読んでいるのですが、夏号はいつにも増して冒険を感じました。この季節ならではの楽しみを見つけたいと思います。
夫も、子どももいない時間に、静かなカフェへ行って、1時間くらいかけ、ゆっくり木漏れ日ハウスを読みます。読むというより浸るかんじに。なかなか得られない、私の大切な時間です。
木漏れ日ハウスに出会ってから、日常の風景や出来事が今まで以上に愛おしく感じられます。
05夏号の、小さな太陽のお話を読んで思い出したのは、裏のお家のもみじの木から朝日が差して、リビングルームの床に小さな太陽がたくさんできて、小学生だった子供達とビックリしたことです。
編集後記の『遠くへ行く必要はない…むしろもっと近くへ近くへ』素敵な言葉ですね。心が満たされました。
小包と「木漏れ日ハウス」を有り難うございました。私たちが飛び上がって喜ぶ物ばかり入っていて、ハチさんは私の心の中が見えているのではないかと思えるくらいです。
トーベ・ヤンソンの家が建っている島がそんなに小さくて、厳しい条件の所にあるとは知りませんでした。私が知っていたのは、ボートでそこまで行くと、玄関に「残念。私は不在です。」と書いたものがドアに下がっていたりする、という話とか、その家が記念館になって残っているらしい、ということくらい。私はトーベ・ヤンソン短編集を持っていて、この本が大好きで、トーベ・ヤンソンはいつも私にとってどこか特別な作家でした。
私自身どこまで自然と付き合っていけるのか、自信はないのですけれど、それでも渡欧してドイツに3年住み、山に登ってキノコ採りとかしながら少しずつ自然に馴染み、オーストリアに移り住んで、森や自然保護区域に隣接した家に引っ越してきて、野鳥にも少し詳しくなったりしている内に、自然にハチさんの理想とする暮らしの世界観を共有出来るようになってきたように思います。まだまだ、模索中ですが、出来ることから。「桑の実のニョッキ」もやってみます!ブルーベリーもそろそろ野生のものが出始めました。
暑中に今号は、どのページを見ても気持ちいいです。 多摩川のどーん写真、その前の写真……、写真そのものもいいのですが、白フチが実に効果的ですね。この判型、使用紙の質、厚さがあってのものだと思います。改めて、出版物の物質としての面は軽視できないなと思いました。
「夏が降る」木漏れ日ハウス、夏号。紙面から、伝わってくる、ひととき、その時、空気感。昼の光、夜の光、同じ光は、ひとつも、ないけれど、かけがえのない時間、誰にも必要な時間が、あって、ひとりでじっくり向き合う大切さ。健やかに夏のはじまりを感じています。
アートを、読んでいる感覚。文字が紡ぎ出す、風の流れ。わずかな気配も、映し出す写真。軽やか、あすへのご褒美、ありがとうございます。