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365日のJournal

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October, 2022

oct22-17

草むらの美

 

 車を走らせているときでも、はっと路傍に目が行って、「きっとあそこの草むらは美しい」と。停車するときがあるのです。それは草が自由で、のびのびと生き、10か12か16種とかの植物が、その場でいっしょに生きている。蝶も蜂いるし、バッタもトンボいる、言ってみれば小さな生態系のあるところです。

 そんな場所は東京にはなかなかない。僕がメインフィールドにしている東京西部の多摩地区は、自然がよく残っているとはいえ、1年に何度も出会えないのです。

 10月18日、僕は多摩川沿いにある、東京で一番大きい田んぼの細い道で車を停めました。「まさか!」と思って確かめたのは1mほどの背の高い草。やはり国指定の絶滅危惧種タコノアシでした。ああそうか、やっぱりこういうところに出るのが本当なんだ!と納得するような場所。田んぼの一角にあった15m四方ほどに稲作がされず、数年置いておかれたようなところでした。どんな事情があったのかわかりません。この大きな田んぼの持ち主は一人ではありません。相続があったのか何なのか、とにかく草たちは、この明るい一角を一年間、思うがままにしたのです。

 なんの手助けも、干渉も受けず、ただ豊かな水と光と、自分らが本来生きてきた環境の中で、植物が自由に生きる姿を見たことがありますか? 沖縄のサンゴ礁とか、白神のブナ林とか、阿蘇とか尾瀬とか大雪山ではなくて、あなたの傍らに生きるものの本当の姿を、見たことがありますか? きっと誰しも驚くと思うのです。雑草の美、草むらの美に。

 

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August, 2022

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きのこたちの楽園

 

テキストはいります

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August, 2022

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富士山のふかふかな森

 

 富士山は巨大な軽石の山です。小さな穴が無数に開いた、黒い火山岩の塊なのです。5合目付近に森林限界があり、これより上は寒く、風も強いので木は生えることができません。5合目には大きな駐車場とレストハウスがあり、バスも通っています。

 高校生の時に一度だけ頂上へ登りました。それから何十回も五合目までは上がりましたが、いつもそこから登山道を降りています。20代のころはマウンテンバイクで、その後は歩いて。木のないところには行きません。僕のお目当てはきのこなのです。

 昔からの友達が、あまりにもきのこが好きで、富士山の近くに家を買いました。それほどに富士山にはきのこがたくさん出るのです。今年はその友だちの案内で、2日間たっぷりきのこ狩りをします。

 富士山はなぜたくさんきのこが出るのでしょうか? 傾斜が急で落ち葉が溜まりにくく、土もあまりありません。木にとっては厳しい環境です。そういうところでは木はきのこの力を借りるのです。きのこの菌糸が木の根とつながり、根の先を綿棒のように膨らませます。木は水分や栄養を摂りやすくなり、きのこも木から栄養をもらいます。富士山は木ときのこの、ロマンスの塊でもあるのです。

 高い山に沿って空気が上がっていけば、冷えて水蒸気が生まれ雲になります。富士山にはよく雲がかかっています。いつも適度に湿気があるので、地面は苔が埋め尽くしています。富士山できのこを採るということは、苔の海の中を泳いでいくということです。これがとても気持ちいい!

 しっとりとして清浄な空気、ふかふかの地面、愛に満ちた木々、そこから生まれてくるきのこたちは、かわいくて、美しくて、おもしろくて、おいしくて! 富士山のきのこ狩りほど幸せな遊びはないのです。

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August, 2022

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小さな森の巣立ち雛

 

 家の木々が、少しずつ大きくなり、家も庭も包み込む感じになってきました。ダイニングから見る小さな裏庭は、ほんの5m四方ほどしかありませんが、3本のマテバシイが小さなドームを作って、食事はいつも森の中でしているようです。

 やがて生き物たちもそれに気づき、シジュウカラが来て、ジョウビタキが来て、コゲラやキジバトが巣を作り、鳥がくれば糞と一緒に種を落とし、様々な実生が芽吹きます。サンショウにはクロアゲハ、ヤマホトトギスにはルリタテハが卵を産み、これも立派なビオトープ? BIO(生き物)+TOP(場所)でビオトープです。我が家は僕だけの家ではなく、生き物たちの家にもなってきたのです。

 ある朝、あまり聞いたことのない、かわいらしい声に気付きました。ヒヨドリのようですが、柔らかく、鳴くというより話すような感じです。ダイニングの森に、ヒヨドリの巣立ち雛が2羽来ていました。巣立ち雛というのは、もう巣から出ているけれど、上手に飛べず餌も取れず、親鳥に養ってもらっている雛たちです。なにか静かに話していたかと思うと、腰を下げて口を広げて精一杯鳴きだす。親鳥が帰ってきたのです。何か大きなセミのような虫をくわえてきては、2羽の雛に順番に与えます。

 雛はまだ警戒心もあまりなく、静かに窓を開ければ逃げ出したりしません。親が出かけている間に窓を開ければ、間近で見ることができるのです。

 葡萄棚の青い葡萄が、今年はよく落ちていると思ったら、雛たちが餌を取る練習をしているようです。ヒヨドリは木の実が好きな鳥なのです。この家族が来てくれるのは、あと1週間でしょうか? 10日でしょうか? 巣立ち雛が親といるのは、ほんの短い間なのです。

 キジバトは玄関の真上に巣を作りたいらしく、そこで2回巣作りしました。でもダイニングの森へ来てくれれば、その方がゆっくり見られて嬉しいのです。ちょっと意地悪のようですが、春に2羽巣立った後に、梯子で登って巣を90度傾けて縦にしました。夫婦はずっと連れ添って、条件がよければ年に何度か子育てします。裏の森なら歓迎です。

 本当は餌を置いたりすれば、もっと楽に鳥を見られるのかもしれませんが、野生生物とはきちんと距離を取らないといけません。餌をあげるのはいけないのです。親鳥が一生懸命餌を採り、子どもたちが少しずつそのやり方を覚えていく、その強く美しい営みを損ねてしまうことになる。鳥たちの態度も、顔つきも変わってしまいます。

 ヒヨドリの巣はどこでしょうか? コゲラが開けていった穴に、シジュウカラが巣作りしないだろうか? フクロウが来たら素晴らしいのに!なんだかそんな家に住む絵本を、昔読んだ気がします。

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June, 2022

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会議ばかりだった日は川へ

 

 朝から3つ会議があり、もうそれでほとんど一日終わってしまいました。大事な仕事ではありましたが、何かを作ったとか、採って食べたとか、開拓したとか、そういう達成がないと、何もしていなかったような気持ちになります。子どもではありませんし、そういう虚しさにも、しっかりと向き合います。

 僕の自宅から職場までの間にある大自然といえば多摩川です。多摩川が削り残した、北の端の丘陵に僕は住んでいて、南の端の丘陵に仕事場がある。その間にある幅約10kmの広大な平野は、かつて川が暴れ、平らげた跡。1000年に一度の大雨が降れば、半分は流されてしまうかもしれない。

 毎朝僕が多摩川を渡る大橋からは、川の中流域が見渡せる。熱い夏の日はギラギラと濃紺に光り、僕を誘います。今、あそこをカヌーで下っていけたらどんなにいいだろう? 秋にはススキ原が何キロも続き、銀の波を揺らします。東京湾までの50kmを、ひたすら歩いていけたら、どんな風景に出会えるだろう? 毎朝そんなことを考えている。


 ある夏の夕方、濃いピンクの夕日が沈み、青紫の雲に呑み込まれていきました。僕はさすがにたまらず、目を付けてあった橋のたもとの空き地に車を停め、河川敷に降り立ちます。カゼクサが、チガヤが風に揺れ、コマツヨイグサが星のように光っている。あちこちの水たまりからは、アマガエルの賑やかな声がします。


 巨大な橋脚の下に、男が座り込み、何か楽器を弾いていました。次の橋脚の下にも若い男が一人、自転車の後ろにつけた機械に向かい、ジャーというノイズを相手に、何かをしゃべっています。アマチュア無線でしょうか?


 若い男二人が川の方からやってきて「あいつには本当にオーラがあるよ」などと興奮して話している。この時期柳の木にやってくるヒラタクワガタが狙いでしょうか? 僕ももう何年も会っていない。男たちはみなそれぞれに自由で、何かに焦がれているようです。


 夜の光に揺れる植物たちを写真に撮り、川の水に手を差し込み、僕の中から何か狂おしいものが放電されていきました。次はあのワンドのあたりから、ボートを出してみようか?

 終わらない夏休みのような夕闇を、淡々と悠々と、1時間半歩きました。

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January, 2022

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雪が朝から降り出せば

 

 東京に雪が積もることは少なくて、最近は年に1度か2度でしょうか? 普通は昼より夜が寒いですから、夕方近くから降り出して、目が覚めたら雪景色ということが多いのです。
 そして日が差せば溶けてしまって、木の枝についた雪などはどんどん消えてしまいます。だから森の雪景色を撮りければ、早起きしないと美しいものは撮れません。
 ところが何十年に一度か、朝から降り始める雪があって、これは見ているうちにどんどん木が白くなり、枝先も白くなり、それを明るい光で見ていられる。
 いつもは走り回るようにして撮る雪景色を、ゆっくりたっぷり時間をかけて撮ることができる。そんな夢のような、何十年に一度の雪が、今年の1月に降りました。
「神様、そんなことお願いもしていなかったのに、僕は何かいいことをしましたか?」
 自然の中で「いいこと」は、だいたいそんなふうに起こるのです。

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January, 2022

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氷の描く絵

 

 一年に一番寒い日に、氷の写真を撮りに行こうと決め、山に囲まれた谷にある、小さな田んぼにやってきました。

 森から葉っぱが田んぼに落ちて、氷に閉じ込められていく、氷の上にまた氷が育ち、不思議な模様を作っていく、見飽きない氷の絵を一枚一枚、展覧会を巡るように、僕は写真に納めます。

 大きなホオノキの葉が魚のようでした。茶色いコナラの葉っぱ2枚は、ヤマドリタケのようでした。 曲線もあり、直線もあり、さわさわと静かに降る、雨のような線もあり、すべてが自由自在に動き、それが深い青の中で、静かに止まっていたのです。

 寒ければ寒いほど、氷の絵は美しい。自信たっぷりで切れ味もよい。耳が痛くなるような寒さだって、たまには体に刻まないと、生きている気持ちも薄らいで、美しいものなんて見えてこない。

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February, 2022

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枯草の海

 

 毎朝通る道の脇に、50mプールくらいの畑がありました。ブロッコリーとか、長ネギとか、そんなものが作られている、住宅街の中の畑です。
 ちょうどその畑の角に信号がありますから、そこでたいてい2,3分は車を停めます。何の気なしに毎朝、僕はしばし畑を眺めていたのです。

 ある春、畑の脇に小さなピンクの花がたくさん咲いた。ホトケノザという雑草です。去年は何か野菜を作っていた場所に、雑草がわっと乗り込んできた。今年はそこには種を蒔かなかったようです。
 次の年、ホトケノザはさらに勢力を広げ、ピンクの面積が大きくなった。「ああ、そういうところが大好きだよな」車から畑を見て、僕はそんなことをつぶやいたかもしれません。

 ピンクが少しずつ広がって、ある年にとうとうピンクの海! 野菜はまったく植えられなかった。そしてそのまま夏になり、秋になり、ありとあらゆるあたりまえの雑草たちが入り込み、翌夏には見事な「原っぱ」となったのです。畑の持ち主は、もうこの畑をギブアップしたということでしょう。きっと高齢だったのでしょう。親から受け継いだ、いやもっと前の100年、200年、それ以上続いた畑を、手放す時が来たのかもしれません。跡継ぎがおらず、相続税を払うために売却。一番普通な末路です。
 1mを超えて生い茂る、あらゆる野草たち。ヨモギ、マツヨイグサ、カラスムギ、ヌカキビ… なかなか見事な原っぱです。

 そして冬が来て、草たちは倒れ、霜が降り、氷つきました。初めて僕は車を停め、その原っぱに踏み込んだ! そこで僕が見たものは、1年間、完全自由に生き抜き、命を全うし、力尽きて倒れた植物たちのあまりに美しい姿、本性と言ってもいいようなものでした。

 風のためでもなく、水の流れにもよらず、草たちは一糸乱れず揺らぎ、どこかを目指し倒れています。この一枚一枚の葉は、元は一つの個体としての命であり、それが集まった群落も、またしっかりと目的を持って生きた、命の集まりだったということでしょう。 
 僕は枯草の流れる躍動に驚き、惑い、感動し、50mプールの中を、カメラを持って何度も何度も往復しました。
 翌春、そこには大きな看板が建てられた。「介護施設建築のお知らせ」そんなことが書いてあったと思います。

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February, 2022

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くるくるカールススキの照明

 

 ススキが一番美しいのはいつでしょうか? 10月の終わり、銀色の穂をたっぽりと膨らませ、河川敷を埋める様は見事です。
 風が吹けば細い茎は大きく傾き、風が止まれば戻る。その行ったり来たりの間に、本当に強い風が来た時に綿毛が飛び立ちます。それが遠くへ行くためのチャンスなのでしょう。

 弱い風ではらはらと親の足元に落ちたりはしません。そして相当な強い風でもススキが折れることはまずありません。しなやかでとても強いのです。

 ススキの穂先は、わずかに下側にカールしています。強い風が吹けば、握った手を開くように穂先が伸びます。この時に綿毛が飛び立つ。冬になって、もうほとんどの綿毛が飛び立つと、膨らんだ綿毛を握っていた力で、カールがくるくると強くなっていきます。それがとてもチャーミングなのです。
 世間の人は冬のススキになんか目もやりません。「もう終わっている。物悲しい」そのくらいのものでしょう。

 うちのリビングにはシンプルな照明が吊り下げられています。でもその下にはいつも草が下がっていて、スポットライトを浴びているのです。
 ある冬、僕は2本のくるくるカールススキを取ってきて、照明の下に下げてみました。「やっぱり、思った通り、それ以上!」楽し気に踊るような姿は、本当にチャーミングだったのです。

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May, 2022

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柔らかく生まれ変わるとき

 

 4月の前半、コナラやクヌギなどの広葉樹が一斉に芽吹きます。ヤマザクラが咲き、ピンクと臙脂を添え、干菓子のような淡い色合いが重なり、得も言われぬ美しさとなるのです。

 木という生き物は、ずっとそこに立ち続け、いつも堂々と揺るがないように思う人もいるでしょう。本当は木は毎年死に、毎年柔らかく生まれ変わるのです。
 どんなに大きな木であっても、赤ん坊の産毛のように光る、柔らかな葉に包まれて、初々しく生まれ変わる季節、それが毎年、4月初めの2週間だけあるのです。
 広く山腹を見渡せる場所へ行きましょう。日本の森の美しさに浸りましょう。

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July, 2021

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玄関に杏子の実

 

 叔母さんの家に杏子の木があるので、実をもらいにいく。半分は叔母さんにあげて、半分持って帰る。すごく美味しいジャムができる。カブのサラダのソースにするのも好き。

 美しいので、洗ってからしばらく玄関に置いておく。うっとりするような香りが満ちる。誰か遊びにくればいいのに。美しいので、洗ってからしばらく玄関に置いておく。うっとりするような香りが満ちる。誰か遊びにくればいいのに。

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October, 2021

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夏の夜のサイクリング

 

 夏至が過ぎ、7月となりました。
 夜7時を過ぎても世界は青く明るく、僕は買ったばかりの自転車、丸石ゴールデンムーンに乗って公園を走ります。買ったばかりといっても1962年制のビンテージ。本当は新しいスポーツ車を買おうと思っていたのですが、自転車店の片隅にあった下取りの古い自転車に一目ぼれしてしまったのです。

 がっしりした車体は抑えの効いた黄とグレー、黒。ピカソが南フランスでよく使っていたコンビネーションです。乗ってみれば見た目よりずっと軽く安定している。ヨーロッパ車の乗り心地をon tha rail(レールの上を走るように滑らか)と形容することがありますが、まさにそんな感じです。

 公園の丘を上がると湖の堤防に出ます。世界はますます青く、さわさわと吹く風が、水面にさざ波を作っています。翼竜のようなシルエットのサギが叫び、空を渡っていきました。
 堤防を渡れば広い草原。夏の草刈り前でしょうか? 豊かに伸びた草たちが、小さな群落をいくつも重ね、大きなうねる海になって僕を迎え入れました。

 カメラを持って分け入り、美しい草の波の姿を撮ります。どこを撮っても嬉しくなるほど自由で、これが命の姿なのだと、命の高まる夏なのだと、キツネのように駆け回るのです。

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December, 2021

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今年初めて降りた霜

 

 入ったばかりのスタッフが、申し訳なさそうな顔で事務所に入ってきました。丘陵地の現場で、ノコギリを失くしたというのです。たまたま担当リーダーが休みの日で、他に誰もいませんでした。子どもが拾って怪我をしてはいけません。僕はそのスタッフと現場へ行き、作業した場所を最初から最後までなぞることにしました。丘陵の南側には冬の陽が入り、12月というのに汗ばむような日でした。スタッフを責めることはできません。ミスの大きさを体で伝えます。

 カサカサと笹をかき分け、その日の作業のままに歩いてもらい、後から僕が続きます。そのスタッフがきちんとした仕事をしていたことが分かってきます。一瞬の気のゆるみでミスはおこったのです。
 昼のサイレンが鳴り、僕らはポットのお茶で少しだけ休憩し、丘陵の北へと入っていきました。小さな川を渡り、クルミの木の下をくぐると、ハコベやオドリコソウの若芽が、青々と地面を埋めていました。今年初めて降りた霜は、越冬する若草と枯草を等しく包みます。片隅に、枯草に半分埋もれたノコギリが見えました。

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